#演奏で変わった私

「『好き』が『苦痛』に変わったとき。演奏で心を取り戻した話」

Tags: モチベーション維持, コンプレックス克服, 練習方法, 音楽との向き合い方, 心理的な変化

好きな曲なのに、練習が苦痛になる。その矛盾に悩んでいました

誰もがきっと経験したことがあるのではないでしょうか。心から「弾きたい」「演奏したい」と思った、大好きな曲。初めてその音を聴いたときの感動や、自分があの旋律を奏でられたらどんなに素晴らしいだろう、という高揚感を胸に、意気揚々と練習を始めたはずなのに、いつの間にかその「好き」な気持ちが薄れ、練習時間が苦痛に変わってしまう、という経験です。

私の場合は、あるジャズピアニストの美しいバラードでした。コード進行の洗練さ、メロディの繊細さにすっかり魅了され、「いつか必ず自分のものにしたい」と強く思いました。楽譜を手に入れ、最初はただ音を追うだけでも楽しく、少しずつ形になっていくことに喜びを感じていました。

しかし、曲全体を通して演奏するには、想像以上に難しいパッセージが多く含まれていました。特に、左手の複雑なボイシングや、右手との絶妙なタイム感など、楽譜通りに音を出すだけでは表現できないニュアンスの壁にぶつかりました。

部分練習を繰り返す日々が始まりました。最初は「よし、これを乗り越えれば理想の演奏に近づける」と前向きに取り組めていたのですが、同じ箇所を何度も、何十回、何百回と弾いているうちに、そのメロディを聴くことすら億劫になっていったのです。指は動いていても、心はどんどん離れていく感覚。あの曲を聴いた時の感動は遠いものになり、練習時間そのものが単なる作業、あるいは苦行のように感じられるようになりました。

「どうして好きな曲なのに、こんなに楽しくないんだろう」

練習の成果が見えない停滞感に加え、「好きなはずの曲が、練習によって嫌いになりそう」という罪悪感や焦りも生まれ、演奏に対するモチベーションは大きく下がってしまいました。これが、私が「好き」が「苦痛」に変わるという矛盾に直面していた時期です。

「弾くこと」だけを見ていた自分に気づく

練習が苦痛になっていた原因は何だったのでしょうか。もちろん技術的な壁は大きな要因です。指が思うように動かない、理想の響きが得られない、といった物理的な困難は、確実にモチベーションを削ぎます。しかし、それ以上に大きな問題は、私の演奏に対する向き合い方そのものにあったと、今振り返ると思います。

当時の私は、「楽譜に書かれた音を正確に、スムーズに弾けるようになること」ばかりに意識が向いていました。つまり、演奏を「技術習得のタスク」として捉えていたのです。そのため、難しい箇所にぶつかると、「できない自分」を強く意識し、その技術的な不足が理想の演奏とのギャップとして立ちはだかりました。そして、そのギャップを埋めるための練習が、ただの反復作業となり、曲全体の魅力や、自分がその曲を弾きたかった原動力を忘れてしまっていたのです。

大好きな曲なのに楽しくない、という状況は、「音楽を演奏する」という行為から、「音楽」そのものが抜け落ちてしまっていた状態だったのかもしれません。技術的な perfection(完璧さ)ばかりを追い求め、performance(演奏、表現)を通して何を伝えたいのか、何を表現したいのか、という音楽の本質から目を背けていました。

視点を変え、「心」を取り戻す練習へ

この苦痛から抜け出すために、私は一度立ち止まり、自分の練習方法と向き合い方を見直すことにしました。

まず、ひたすら部分練習を繰り返すのをやめました。代わりに、曲を最初から最後まで、たとえゆっくりでも、止まらずに弾いてみる時間を持ちました。つっかえたり間違えたりしても気にしない。ただ、曲全体の流れや構成を感じることに集中しました。そうすることで、部分練習では見失っていた曲のストーリーや情感が少しずつ見えてきました。

次に、楽譜から一度離れ、原曲を「聴く」時間を増やしました。以前も聴いていましたが、練習が苦痛になってからは原曲を聴くのも辛くなっていました。しかし、改めて演奏者や他の楽器の音に耳を澄ませると、単に音符を追うだけでは気づけなかった表現の機微、抑揚、間の取り方などがたくさんあることに気づきました。そして何より、初めてその曲を聴いた時の「好きだ」という感覚を少しずつ取り戻すことができました。

さらに、私は「なぜこのフレーズが好きなのだろう」「このメロディはどんな気持ちを表しているのだろう」と、より積極的に曲に問いかけ、自分の内面的な感情と結びつけるようにしました。楽譜に「dolce(甘く)」や「agitato(激しく)」といった指示が書かれていても、以前はそれを「どう弾くべきか」という技術的な問題として捉えていましたが、この頃からは「この部分はどんな『甘さ』だろう」「どんな『激しさ』を表現したいのだろう」と、表現したい感情やイメージを先に持つように意識を変えました。

これらの取り組みは、すぐに劇的な技術向上をもたらすものではありませんでした。しかし、練習時間が単なる「できないことを克服する時間」から、「曲と対話し、自分の心を通わせて表現を探る時間」へと変わっていきました。すると不思議なことに、部分練習を再開した際にも、以前のような単なる反復作業ではなく、「この感情を表現するためには、ここのリズムを正確に、この指使いで滑らかに弾く必要があるんだ」というように、明確な目的意識を持って取り組めるようになりました。

演奏は、技術だけでなく「心」で奏でるもの

「好き」が「苦痛」に変わった経験を通して、私は演奏が単に技術的な正確さを競うものではないことを学びました。もちろん技術は表現の土台として不可欠ですが、その土台の上に、自分の心や感情、曲に対する理解や共感を乗せて初めて、聴く人の心に響く「音楽」になるのだと実感しました。

練習が苦痛になったとき、それは技術的な壁であると同時に、もしかしたら音楽との向き合い方、自分の心との向き合い方を見直すサインなのかもしれません。立ち止まり、自分がなぜその曲を好きになったのか、どんな風に弾きたいのか、どんな感情を表現したいのかを再確認すること。そして、完璧を目指すのではなく、今の自分ができる最高の「心」のこもった演奏を目指すこと。そうすることで、演奏の苦痛は和らぎ、再び「好き」という純粋な気持ちを取り戻すことができるのだと思います。

演奏を通して自分の内面と向き合い、感情を表現する喜びを知ったことは、私の演奏だけでなく、日々の生活にも良い影響を与えてくれました。困難な状況に直面しても、表面的な結果だけでなく、その過程で自分が何を学び、どう感じているのかに目を向けることの大切さを、演奏が教えてくれたからです。

もし今、あなたも好きな曲の練習が苦痛に感じているのであれば、それはあなたが音楽とより深く向き合うチャンスかもしれません。技術だけでなく、あなたの「心」で音を奏でることを思い出してみてください。きっと、演奏の新たな喜びを見つけることができるはずです。