完璧主義を手放したら、演奏がもっと楽しくなった話
完璧主義を手放したら、演奏がもっと楽しくなった話
演奏を楽しむ中で、「完璧に弾かなければいけない」というプレッシャーを感じたことはありませんか。特に、学生時代のように練習時間を十分に確保できない社会人になると、わずかな練習時間の中で何とか理想に近づこうと焦り、ミスを過度に恐れてしまうこともあるかと思います。かつて私も、まさにそうでした。
私は幼い頃から楽器を続けてきましたが、成長するにつれて、周りの上手な友人やプロの演奏を聴く機会が増え、「自分はまだまだだ」「もっと練習しないと」「ミスなんて絶対許されない」と強く思うようになりました。特に社会人になってからは、練習時間が限られるため、せっかくの練習でミスをすると「時間が無駄になった」と感じてしまい、さらに自分を追い詰めていました。結果として、楽譜通りに正確に弾くことばかりに囚われ、演奏すること自体が苦痛になっていったのです。指が思うように動かない自分に苛立ち、練習後はいつも落ち込むという悪循環でした。
この「完璧でなければ価値がない」という考え方は、私から演奏の楽しさを奪い去っていました。人前で弾く機会があっても、失敗が怖くて思うように演奏できず、さらに自信を失うという経験もしました。このままでは大好きな音楽を続けられなくなると感じた私は、何とかこの状況を変えたいと考えるようになりました。
転機となったのは、ある日、友人からかけられた何気ない一言でした。「〇〇(私の名前)の演奏って、聞いてるとホッとするんだよね。正確さも大事だけど、〇〇らしさがあって良いと思うな。」その言葉を聞いて、私はハッとしました。自分では「完璧でない」「ミスが多い」と感じていた演奏でも、相手には違う形で伝わっていたのかもしれない。そして、「完璧さ」だけが演奏の価値を決めるのではないのかもしれない、と初めて思えたのです。
そこから、私は意識的に「完璧主義」を手放す練習を始めました。具体的には、以下の点を心がけました。
- ミスの許容範囲を広げる: 練習中にミスをしても、「あ、間違えたな」と軽く受け流し、すぐに先に進むようにしました。一つ一つのミスに立ち止まって落ち込むのをやめたのです。
- 「音を楽しむ」ことに焦点を当てる: 指使いやリズムの正確さだけでなく、自分が奏でる「音」そのものに耳を傾け、その響きや美しさを味わう時間を意識的に作りました。
- 小さな「できた」を認める: 難しいフレーズが少しでも滑らかに弾けたり、新しい表現方法を試せたりした時には、「今の良かったな」と自分を褒めるようにしました。完璧でなくても、成長の過程にある小さな成功を意識的に見つけ出すようにしたのです。
- 人前での演奏は「表現の場」と捉える: 失敗を恐れるのではなく、「今の自分が感じていること、伝えたいことを音に乗せてみよう」と、表現することに意識を切り替えました。
最初は正直、不安でした。完璧を目指さなくて良いのか、と迷う気持ちもありました。しかし、これらのことを意識して練習を続けていくうちに、少しずつ変化が現れ始めました。
ミスを恐れすぎなくなったことで、指がリラックスし、かえってスムーズに動くことが増えました。練習時間の全てをミスの修正に費やすのではなく、新しい曲に挑戦したり、同じ曲でも違う表現を試したりする余裕が生まれ、練習そのものが楽しくなりました。何より、音を出すことが喜びとなり、楽器に触れる時間が待ち遠しくなったのです。
完璧主義を手放したことは、私の演奏だけでなく、人生全般にも良い影響を与えました。完璧でなくても良い、むしろ不完全さの中にこそ「自分らしさ」や成長の余地があるのだと気づけたことで、自分自身をもっと肯定的に受け入れられるようになったからです。
演奏で「完璧」を目指すことは素晴らしい目標の一つです。しかし、その完璧主義が自分を苦しめているのであれば、少し視点を変えてみることも大切かもしれません。「完璧」ではなく「自分らしい表現」を目指すこと。「失敗」を恐れるのではなく「学び」の機会と捉えること。そうすることで、演奏はきっと、あなたの人生を豊かにする、かけがえのない時間になるはずです。
もしあなたが今、「完璧に弾けない自分はダメだ」と悩んでいるとしたら、少しだけ肩の力を抜いてみてください。音を出す喜び、音楽を奏でる楽しさに改めて耳を澄ませてみてください。きっと、新しい景色が見えてくるはずです。