「完璧じゃなきゃ意味がない」練習でミスを恐れていた私が、もっと自由に演奏できるようになった話
完璧を目指すことの苦しさ
かつて私は、演奏において「完璧」を目指すことに固執していました。楽譜に書かれた音符、記号の一つひとつを正確に再現すること。リズムの乱れも、音程のずれも、表現の甘さも許容できない。少しでも理想と違う演奏になると、深く落ち込み、「自分は才能がない」「この楽器に向いていない」と感じていました。
特に練習中は、小さなミスをするたびに手が止まり、「なぜこんな簡単なこともできないんだ」と自分を責めてばかりでした。もちろん、正確さを追求することは演奏家にとって大切なことですが、私の場合はそれが過度な完璧主義となり、練習自体が苦痛になっていたのです。
人前で演奏する機会があると、ミスの恐怖から過度に緊張し、練習通りに弾けないことがよくありました。本番で一つでもミスをすると、そこから立て直すことができず、演奏全体が台無しになってしまうような感覚に陥っていました。技術的な向上は少しずつあっても、心のどこかに常に「完璧でなければ」というプレッシャーがあり、演奏を楽しめていない自分に気づき始めたのです。
「ミスは悪」という考え方からの脱却
この完璧主義から抜け出すきっかけとなったのは、尊敬するある演奏家が語っていた「ミスは、次に何を改善すれば良いかを教えてくれる道しるべだ」という言葉でした。それまで私は、ミスを自分の「失敗」や「欠陥」として捉えていましたが、その言葉を聞いて、ミスをもう少し客観的で建設的な視点で見ることができるのではないか、と考えるようになったのです。
そこから、私のミスとの向き合い方が少しずつ変わっていきました。
まずは、練習中の「止めない」練習を取り入れました。完璧を目指して頻繁に止まるのではなく、たとえミスをしても最後まで通して弾いてみる。そして、どこで、どのような種類のミスが起きたのかを冷静に分析する時間を持つようにしました。これにより、ミスをした部分だけでなく、曲全体の流れの中でそのミスがどのように影響するのかを把握できるようになりました。
次に、ミスを「発見」と捉えるように意識しました。これは難しいことでしたが、「あ、ここでこのミスが出るということは、まだこの部分の基礎が固まっていないな」「このリズムの取り方が不安定なんだな」というように、問題点を見つけるためのヒントとして捉えるように努めました。これにより、ミスを個人的な能力の欠如ではなく、単なる「改善点」として扱うことができるようになったのです。
また、演奏の目的を「完璧に弾くこと」から「音楽を表現すること」へとシフトさせました。完璧さを追求するあまり、表現がおざなりになっていたことに気づいたのです。どういう音色で、どのような感情を込めて演奏したいのか、といった音楽的な側面に意識を向けることで、たとえ小さなミスがあっても、音楽全体のメッセージが届けられれば良い、と思えるようになりました。
ミスを受け入れた先に広がった世界
これらの意識改革と練習方法の変化により、私の演奏は大きく変わりました。練習中にミスをしても、以前のように深く落ち込むことは減りました。むしろ、「よし、また一つ改善点が見つかったぞ」と前向きに取り組めるようになったのです。
本番での緊張も和らぎました。もちろんゼロにはなりませんが、たとえミスをしても、「これは道しるべだ」と思い直し、すぐに次のフレーズに意識を戻すことができるようになりました。音楽全体の流れや表現に集中することで、小さなミスにとらわれすぎず、より自由に、そして自分らしい演奏ができるようになったのです。
完璧主義を手放し、ミスを必要以上に恐れなくなったことで、演奏が本当に楽しいものに変わりました。以前は練習時間すべてがプレッシャーとの戦いでしたが、今は音楽そのものに集中し、表現する喜びを感じながら練習に取り組めています。
この経験を通して学んだのは、完璧を目指すことよりも、音楽と自分自身に誠実に向き合うことの大切さです。ミスは避けるべきものではなく、自分を成長させてくれる貴重な機会です。もし今、あなたが「完璧じゃなきゃ」というプレッシャーに苦しんでいるなら、少しだけ肩の力を抜いて、ミスを「発見」と捉え直してみてはいかがでしょうか。その先に、もっと自由で、もっと楽しい演奏の世界が待っているかもしれません。