#演奏で変わった私

「弾けない」の先へ。難曲との格闘が教えてくれたこと

Tags: 難曲, 挑戦, 挫折, コンプレックス, 克服, マインドセット, 演奏, 自己肯定感

難しい曲への挑戦と、深まるコンプレックス

楽器を演奏する上で、誰もが一度は「難しい曲に挑戦したい」という思いを抱くのではないでしょうか。憧れのあの曲、自分の技術の壁を超えるような一曲に挑むことは、演奏家にとって大きなモチベーションとなります。私も例外ではなく、ある時期、以前なら考えられなかったような難易度の高い楽曲に挑戦することを決めました。

しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。楽譜を開き、音符を追うたびに、自分の指や体がいかにその複雑さについていけないかを痛感する日々が続きました。速いパッセージはもつれ、繊細な表現は雑になり、何度繰り返しても思うような演奏には程遠いのです。

それまで、練習すれば少しずつでも上達するという経験を積んできましたが、この曲に関しては全く手応えがありませんでした。練習時間の確保も決して容易ではなかったため、「これだけ時間をかけても、結局自分には才能がないのではないか」「あの人は簡単に弾いているのに、なぜ自分はこんなにもできないのか」というネガティブな感情が湧き上がり、次第に深いコンプレックスへと変わっていきました。「自分は、憧れの曲を演奏できるレベルにない人間だ」と、自己肯定感が大きく揺らいでいったのです。

挫折の淵で見直した「演奏する」ということ

このままでは演奏そのものが嫌いになってしまうのではないか、そんな危機感を覚えるほど、難曲への挑戦は私にとって精神的な負担となっていました。しかし、同時に「ここで諦めたくない」という気持ちも強くありました。この曲に挑戦したいと思った、最初の純粋な気持ちを思い出したのです。

そこで私は、少し立ち止まって、演奏に対する自分の考え方を見直すことにしました。これまで私は、「完璧に弾くこと」「人から評価されること」に重きを置きすぎていたのではないか。だからこそ、「弾けない自分」を受け入れられず、深く傷ついていたのではないか、と。

難曲を前にして突きつけられたのは、単なる技術の壁だけではなく、「なぜ私は演奏するのか」という根本的な問いでした。上達すること、難しい曲を弾けるようになることはもちろん素晴らしい目標ですが、それだけが演奏の価値なのでしょうか。

「弾けない」自分を受け入れ、プロセスに価値を見出す

この問いに向き合った結果、私の意識は大きく変わりました。目指すべきは「完璧に弾くこと」ではなく、「その曲を通して、自分自身と向き合い、音楽を表現すること」なのだと気づいたのです。

具体的に変えたのは、練習への臨み方です。できない部分に固執し、苛立ちながら何十回も繰り返すのではなく、まずは「なぜ弾けないのか」を冷静に分析するようになりました。指使い、体の使い方、息遣い、譜読みの精度など、問題点を細分化し、一つずつ丁寧に取り組むようにしたのです。

また、「弾けない部分」だけでなく、「少しでもできるようになった部分」や、「このフレーズのこの音が綺麗に出せた」といった、小さな成功体験に目を向けるようにしました。完璧には程遠くても、曲の一部分でも自分の思い描いた音が出せた時、そこに喜びを見出せるようになったのです。

さらに、曲全体の構成や背景にあるストーリー、作曲家の意図などを深く理解しようと努めました。技術的な難しさだけでなく、音楽そのものに触れる時間を増やしたのです。すると、単なる音符の羅列に見えていたものが、表情豊かな音楽として感じられるようになり、練習のモチベーションが内側から湧いてくるのを感じました。

難曲との格闘を経て得られた、演奏と人生の宝物

難曲を完全にマスターできたかと言えば、正直に言って、今でも完璧には程遠いかもしれません。しかし、その過程で私は、技術的な向上以上に、もっと大切なものを手に入れました。

それは、「できない自分を受け入れる勇気」と、「プロセスそのものを楽しむ心」です。そして、「他人との比較ではなく、過去の自分からの成長に目を向けること」の大切さです。これらの気づきは、演奏だけでなく、仕事や日々の生活における困難に立ち向かう上でも、かけがえのない力となっています。

「弾けない」という挫折感を経験したからこそ、音楽と、そして自分自身と、より深く向き合うことができました。難曲との格闘は、私にとって演奏技術を磨く機会であると同時に、内面を大きく成長させる経験だったのです。もし今、難しい曲に挑戦していて壁にぶつかっている方がいらっしゃるなら、どうか「弾けない自分」を責めすぎないでください。その格闘そのものが、きっとあなたを強くし、演奏家として、そして人間として、大きな宝物を与えてくれるはずですから。