「もう楽しくないかも」演奏する喜びを見失った私が変われた話
かつて、演奏は私にとって「義務」になっていました
楽器を始めた頃の、あのワクワクする気持ちを覚えていますでしょうか。新しい曲に挑戦する高揚感、少しずつ音が鳴るようになる喜び、そして何より、ただ弾いているだけで満たされる感覚。
私にも、そんな時期がありました。しかし、キャリアを重ね、練習時間を見つけるのが難しくなるにつれて、演奏は少しずつ形を変えていきました。いつの間にか、練習は「やるべきこと」、弾くことは「義務」となり、かつての楽しさは薄れていったのです。
特に、SNSなどで他の演奏者の素晴らしいパフォーマンスを目にするたび、自分の技術の足りなさや、上達の遅さにばかり目が行きました。「もっと練習しなきゃ」「あの人みたいに弾けないと意味がない」――そんな焦燥感に駆られ、ますます演奏が窮屈になっていきました。練習時間も確保できず、楽器に触るたびに自己嫌悪に陥る。そんな日々が続いた結果、「もう、楽しくないかもしれない」と感じるようになっていたのです。
なぜ、楽しさを見失ってしまったのか
振り返ってみると、楽しさを見失った原因はいくつかありました。
まず、目標設定が「上手くなること」や「特定の曲を弾けるようになること」に偏りすぎていた点です。もちろん、技術向上は大切ですが、それが唯一の目的になると、結果が出ない時に大きな挫折感に繋がります。練習してもすぐに効果が出ない、むしろ下手になったように感じる。そんな時に「自分にはセンスがないんだ」と、楽しさよりもコンプレックスが勝るようになっていました。
次に、他人との比較です。特に、SNSは気軽に他の演奏に触れられる反面、無意識のうちに自分と他人を比較してしまう環境でもありました。「もっと練習時間がある人はすごい」「自分はこんなにできない」と、他人の輝きが自分の劣等感を刺激するのです。本来、音楽は表現であり、自分自身の内面と向き合うもののはずなのに、いつの間にか「他人より優れているか、劣っているか」という基準でしか自分を見られなくなっていました。
そして、練習が「やらされている」感覚になっていたことです。仕事や家事の合間に無理やり時間を捻出し、疲れている体で楽器に向かう。「あぁ、今日も練習しないと」という義務感。これでは、心から楽しむことはできません。練習の目的や意味を見失い、ただ機械的にフレーズを追うだけ。そんな状態では、音楽の持つ豊かな表現力に触れることも難しくなります。
楽しさを再発見するための「実験」
「このままでは、せっかく続けてきた演奏を本当に嫌いになってしまうかもしれない」。そう危機感を抱いた私は、考え方と練習方法を大きく変えることを決意しました。それは、楽しさを「取り戻す」というより、楽しさを「再発見する」ための実験のようなものでした。
まず、目標を「技術向上」から「楽器に触れる時間を心地よいものにする」に変えました。具体的な練習ノルマを設定するのをやめ、その日の気分で弾きたいものを自由に弾く時間を増やしました。難しい曲に挑戦するよりも、昔弾いて楽しかった曲を改めて弾いてみたり、楽譜通りではなく自分のアレンジで弾いてみたり。完璧に弾けなくても良い、ただ音を出して遊ぶ。そんな時間を作るようにしました。
次に、他人との比較をやめる努力を始めました。SNSを見る時間を減らし、他の演奏を見る時も「自分との違い」ではなく、「その演奏のどんなところに心が動かされるか」に注目するようにしました。そして、自分自身の「好きな音」や「心地よい響き」を探すことに意識を向けました。自分の演奏の良い部分に目を向け、「今日の自分はここが良かったな」と小さな成功を認める練習をしました。
また、練習時間を確保できないことに悩むのではなく、短い時間でも「質」を意識するようにしました。例えば、たった5分でも良いから、集中して一つのフレーズだけを丁寧に練習する。あるいは、楽器に触れられない日でも、好きな音楽をじっくり聴いたり、楽譜を眺めたりする時間を作る。そうすることで、「練習できなかった」という罪悪感ではなく、「音楽と触れ合えた」という満足感を得られるようにしました。
演奏が教えてくれた、本当の「喜び」
これらの「実験」を続けるうちに、少しずつですが変化が現れました。まず、楽器に触ることへの抵抗感が薄れました。練習が義務ではなくなり、自由に音を出す時間が増えたことで、自然と楽器に向かう回数が増えたのです。
そして、最も大きな変化は、自分自身の音を愛せるようになったことです。完璧でなくても、他人と同じでなくても、自分だけの音がある。その音を通して、その時の自分の気持ちや状態が表現される。そのことに気づいたとき、演奏は再び私にとって、かけがえのない自己表現の手段となりました。
楽しさを再発見する過程で、私は「上手いこと」と「楽しいこと」は必ずしもイコールではないことを学びました。もちろん、上達すれば演奏の可能性は広がりますが、それ以上に大切なのは、音を通して自分自身と向き合い、そこで生まれる感情や表現を味わうことなのだと知りました。
演奏は、自分自身を愛するための時間
今、私は以前よりずっと楽しんで演奏ができています。技術的な課題がないわけではありませんし、他人との比較から完全に自由になったわけでもありません。しかし、「楽しむこと」を演奏の中心に置くことで、コンプレックスや悩みに振り回されることが減りました。
もし、あなたが今、かつて好きだったはずの演奏が「義務」や「苦痛」に感じているのだとしたら、それはあなたが真剣に音楽と向き合ってきた証拠かもしれません。立ち止まって、なぜ楽しさを見失ったのか、そしてどうすれば再び心地よく演奏できるのか、自分自身に問いかけてみる良い機会なのかもしれません。
演奏は、誰かと競うためのものではなく、自分自身を深く理解し、愛するための時間であっても良いのです。完璧を目指すプレッシャーから解放され、あなた自身のペースで、あなた自身の音を探求してみてください。きっと、演奏は再びあなたに、かけがえのない喜びをもたらしてくれるはずです。