#演奏で変わった私

他人からの「いいね」に振り回された私が、演奏動画の投稿で本当に欲しかったものを見つけた話

Tags: SNS, コンプレックス, 自己肯定感, モチベーション, 他人との比較

SNSで演奏動画を共有することが、すっかり身近になりました。練習の記録として、誰かに聴いてもらうために、あるいは他の演奏者と繋がるために、多くの人が気軽に自分の演奏をアップロードしています。私も、会社員として限られた時間の中で練習するモチベーションを保つため、そして何より「誰かに聴いてほしい」という気持ちから、少しずつSNSに演奏動画を投稿するようになりました。

SNS投稿がもたらした「評価への依存」という新たな壁

最初は、自分の演奏を形に残せること、そして反応があることが純粋に嬉しかったのです。特に、「いいね」の数が多かったり、肯定的なコメントをもらえたりすると、日々の地道な練習が報われたように感じました。しかし、それは徐々に「いいね」や再生回数に一喜一憂する習慣へと変わっていきました。

投稿した動画の評価が伸び悩むと、「私の演奏には魅力がないのかもしれない」「全然上手くなっていないのではないか」と深く落ち込みました。他の演奏者、特にフォロワーが多く、たくさんの「いいね」を集めている人の動画を見ると、強烈な劣等感に襲われました。「どうしてあの人はあんなに注目されるんだろう」「私には才能がないんだ」と、他人との比較から生まれるコンプレックスが、演奏を楽しむ気持ちを蝕んでいったのです。

いつしか、自分が本当に弾きたい曲や表現したい音よりも、「SNSでウケそうなもの」「多くの人に聴いてもらえそうなもの」を無意識に選ぶようになっていました。本来、自分の内側から湧き上がる音楽と向き合うはずが、外側からの評価を基準にして演奏するようになり、練習自体が苦痛に感じられることも増えていきました。

評価の沼から抜け出すために考えたこと、試したこと

この状況が続いた結果、私はすっかり疲弊してしまいました。何のために演奏しているのか、わからなくなってしまったのです。演奏動画を投稿するたびに心がざわつき、評価が気になって他のことが手につかなくなる。これは健康的ではない、このままでは大好きなはずの演奏が嫌いになってしまう、そう強く危機感を覚えました。

そこから、私は少しずつ意識を変え始めました。まず、なぜ自分がSNSに演奏動画を投稿するのか、その原点に立ち返って考えてみました。承認欲求があったことは認めつつも、一番は「自分の成長を記録したい」「練習のモチベーションにしたい」という気持ちが大きかったことを再認識しました。

そこで、「いいね」の数やコメントといった他人からの評価を、自分の演奏の全てを測る唯一の基準とするのをやめました。代わりに、自分自身の内側で感じたこと、自分なりの成長に目を向けるようにしたのです。

これらの試みは、すぐに効果が現れるものではありませんでした。やはり投稿後はしばらく評価が気になってしまうこともありました。しかし、意識的に自分の内面に目を向ける時間を増やすことで、徐々に他人からの評価に振り回される度合いが減っていきました。

演奏動画の投稿が教えてくれた、本当に欲しかったもの

評価を過度に気にしなくなったことで、私の演奏は少しずつ変わっていきました。他人の目を意識するよりも、自分がどんな音を出したいか、どんな風に表現したいかという内側の声に耳を傾けるようになったのです。その結果、演奏することが本来持っていた楽しさを取り戻すことができました。

SNSは、相変わらず私の演奏記録であり、時には他の演奏者と交流する場でもあります。しかし、今は「いいね」の数に価値の全てを置くのではなく、自分が納得できる演奏ができたか、そしてその過程で何を学び、どう成長できたかに重きを置いています。

SNSへの演奏動画投稿という体験は、私に「外側からの評価」と「内側で感じる充実感」の違いを明確に教えてくれました。そして、私が演奏を通じて本当に欲しかったものは、他人からの「いいね」や称賛ではなく、「自分自身の成長を実感すること」、そして何より「自分の音を愛せるようになること」だったのだと気づかせてくれたのです。

もし、あなたがSNSでの演奏公開を通じて、他人との比較や評価への不安に悩んでいるとしたら、一度立ち止まって、自分が何のために演奏しているのか、本当に演奏を通じて得たいものは何なのかを自問してみてください。そして、他人からの評価と同じくらい、あるいはそれ以上に、あなた自身が感じていること、あなた自身の小さな成長に目を向けてみてはいかがでしょうか。きっと、演奏があなたにとって、より豊かで満ち足りたものになるはずです。