#演奏で変わった私

「『体が硬いから無理』そう思っていた私が、身体の使い方を見直して演奏が変わった話」

Tags: 体の使い方, コンプレックス, 演奏法, 自己肯定感, 身体と心

演奏における身体の悩みと、「無理」という諦め

楽器を演奏されている多くの方が、一度は身体に関する悩みに直面したことがあるのではないでしょうか。特定の音を出すときに力んでしまう、長時間練習すると肩や首が痛くなる、指が思うように動かない、といった技術的な壁の裏には、身体の使い方が大きく関係している場合があります。

私自身も、まさにそうでした。特に、ある時期から「体が硬いせいで、あの演奏家のような滑らかな表現ができない」「どう頑張っても脱力できないのは、生まれつき体の構造が違うからだ」と、自分の身体を限界の原因だと決めつけるようになってしまったのです。友人やSNSで見かける、 effortlessly(楽々と)演奏しているように見える人たちと自分を比較し、「私には才能も体も向いていないのかもしれない」というコンプレックスがどんどん膨らんでいきました。

「体が硬いから無理」。この言葉は、いつしか私にとって、上達しない理由を正当化するための言い訳になっていました。練習時間を増やしても、基礎練習を繰り返しても、身体の不調やぎこちなさが改善されず、モチベーションは低下する一方でした。

「身体の使い方」への視点転換

そんな状態が続いたある日、参加したワークショップで、講師の方が「演奏は身体全体で行うもの」という話をされているのを聞きました。それまで私は、演奏は指先や口先といった「楽器に触れる部分」だけで行うものだと無意識に考えていたのですが、その言葉が頭から離れませんでした。

もし、私の身体の悩みが「硬さ」そのものではなく、「使い方の癖」によるものだとしたら? そんな可能性に一筋の光を見出した私は、それまで避けていた「身体の使い方」について学び始めることにしました。

まず始めたのは、演奏とは直接関係なさそうな、体の構造や効率的な動きに関する書籍を読んでみることでした。そして、演奏家向けの身体の使い方に特化したオンライン講座をいくつか受講しました。そこでは、アレクサンダーテクニックやフェルデンクライス・メソッドといった、身体の気づきを高めるためのアプローチが紹介されており、目から鱗が落ちる思いでした。

具体的な実践と小さな変化

学んだことを、日々の練習に取り入れていきました。例えば、

最初は、すぐに効果があるわけではありませんでした。「本当にこれで変わるのだろうか」と不安になることもありましたが、根気強く続けていきました。

すると、少しずつ変化が現れ始めました。まず、長時間練習しても以前ほど疲労を感じなくなったのです。そして、特定の箇所で感じていた痛みが軽減されてきました。さらに驚いたのは、技術的な壁だと思っていたフレーズが、身体の無駄な力みがなくなったことで、以前よりスムーズに弾けるようになったことです。

身体と心の両面で得られた変化

これらの身体的な変化は、私の内面にも大きな影響を与えました。「体が硬いから無理」という諦めは、「身体の使い方次第で、まだまだ可能性が広がる」という希望に変わりました。自分の身体への信頼感が生まれたことで、演奏中の不安が減り、より大胆に、自由に表現できるようになりました。

また、他人との比較に悩むことも少なくなりました。他の演奏家が楽に見えるのは、彼らの身体の使い方が効率的なのかもしれない。ならば、私も自分の身体と向き合い、探求していけば良いのだ、と考えられるようになったからです。身体との対話を通じて、自分自身の演奏と、身体の可能性を追求すること自体が楽しくなりました。

身体の探求が、演奏と人生を豊かにする

身体の使い方を見直すことは、単なる技術向上に留まりませんでした。自分の身体がどのように反応し、どのように動くのかに意識を向ける習慣は、演奏中だけでなく、日常生活においても活かされています。疲れにくくなったり、心身のバランスを取りやすくなったりと、人生全体の質が向上したように感じています。

かつて「体が硬いから無理」と諦めていた私に、今の私が伝えられるとしたら、「それは限界ではなく、探求の始まりだよ」ということです。身体の悩みは、演奏をより深く理解し、自分自身の可能性を広げるための扉なのかもしれません。もし今、身体的な壁にぶつかっている方がいれば、ぜひ一度、「身体の使い方」という視点から、ご自身の演奏を見つめ直してみていただけたらと思います。きっと、新しい発見と、演奏がもっと楽になる感覚が得られるはずです。