「『演奏に心がこもらない』そう悩んでいた私が、感情を表現する壁を乗り越えた話」
演奏に技術は伴ってきたけれど、どこか「つまらない音」
楽器を始めて数年が経ち、基礎練習や曲の練習を重ねるうちに、ある程度の技術は身についてきたと感じていました。楽譜通りに音符を追うこと、正確なリズムで弾くこと、難しいパッセージをクリアすること。そういった技術的な課題は、練習量に応じて少しずつクリアできるようになっていきました。
でも、同時に感じていたのは、「自分の演奏には、どうも心がこもっていないのではないか」という悩みでした。他の人が演奏するのを聴くと、その音色やフレージングから感情が伝わってくるように感じられるのに、自分の音はただ音符を並べただけのように聞こえるのです。
特に、感情豊かな表現が求められる曲を弾くとき、その悩みは深刻になりました。作曲家が込めた情景や感情を伝えたいと思っても、頭で考えた「こうすれば感情的に聞こえるだろう」というテクニックをなぞるだけで、自分自身の内側から湧き上がるような表現ができないのです。まるで、透明なガラス玉のような音で、聞く人の心に何も響かないのではないかと、深く悩んでいました。
「感情を表現する」って、どうすればいいのだろう?
この「心がこもらない」という悩みは、やがて「自分には感情を表現するセンスがないのではないか」というコンプレックスへと変わっていきました。周りの上手な人たちは、特別なことをしているように見えないのに、なぜあんなにも豊かな音色や表現ができるのだろうか。それは生まれ持った才能なのではないか。そう思うと、どれだけ技術を磨いても、この壁は乗り越えられないのではないかという無力感に襲われました。
どうにか感情を演奏に乗せようと、強弱を極端につけたり、テンポを不自然に変えてみたりと試行錯誤しましたが、結果は不自然な演奏になるばかりでした。「もっと自然に」「心で歌って」とアドバイスされても、その「心で歌う」という感覚が全く掴めないのです。
会社員として働く日々の中で、確保できる練習時間は限られています。その貴重な時間を、ただ技術を磨くだけでなく、「心」の部分にどう向き合えば良いのかが分からず、焦りばかりが募っていきました。
内面との対話と、音楽そのものへの深い理解
そんな停滞期を抜けるきっかけとなったのは、ある時、思い切ってレッスンで先生にこの悩みを正直に打ち明けたことでした。先生は私の話をじっと聞き、「それは多くの人が通る道ですよ」と仰いました。そして、技術練習と同じくらい、いや、それ以上に「音楽そのもの」と「自分自身の内面」に向き合うことの重要性を教えてくださったのです。
先生のアドバイスに基づき、私は二つのことを意識的に行うようになりました。
一つ目は、演奏する楽曲の背景や物語を深く知ることです。作曲家がどのような時代に、どのような思いでその曲を作ったのか、歌詞のある曲であればその言葉一つ一つに込められた意味は何か。そうしたことを調べるうちに、楽譜に書かれた音符が、単なる記号ではなく、特定の感情や情景を伝えるためのツールなのだということに気づき始めました。頭で理解するだけでなく、その時代や作曲家の気持ちに想像力を巡らせることで、曲に対する共感が生まれ、それが少しずつ演奏に影響を与え始めたのです。
二つ目は、自分自身の内面と向き合うことです。先生は、「演奏は、あなたの内面を通して濾過された音になる」と仰いました。最初はピンときませんでしたが、普段感じている喜びや悲しみ、不安や希望といった様々な感情、あるいは過去の経験といった自分の「引き出し」が、演奏に深みを与えるのだと理解しました。
具体的な練習としては、まず、演奏する曲を「歌ってみる」ことを試しました。楽器で弾く前に、声に出してメロディーを歌うことで、自然なフレージングや感情の流れを感じ取れるようになりました。また、演奏中に自分が何を感じているのか、どのようなイメージを持っているのかを言葉にしてみる練習もしました。最初は難しいのですが、続けるうちに、自分の演奏が自分の内面と繋がっている感覚が少しずつ芽生えていきました。
さらに、自分の演奏を録音して聴き返す際、単に技術的なミスを探すだけでなく、「この部分はどんな気持ちで弾いたのだろう?」「この音からどんな感情が伝わってくるだろう?」という問いかけをしながら聴くようにしました。客観的に自分の音を聴くことで、意図しない表現になっている部分や、感情が乗りきっていない部分が見えてきました。
演奏が「自分自身の声」になったとき
これらの取り組みを続けるうちに、少しずつですが、自分の演奏が変わっていくのを実感できるようになりました。以前のように、ただ正確に弾くことに囚われるのではなく、この音で何を伝えたいのか、このフレーズはどんな感情を表しているのかを意識できるようになりました。
特に大きかったのは、「完璧に弾けなくても、感情がこもっていれば、それは聞く人の心に届くことがある」という気づきでした。以前はミスを恐れて無難に弾く傾向がありましたが、表現したい感情に焦点を当てることで、たとえ技術的に完璧でなくても、演奏が生きたものになることを知りました。
演奏が、単なる技術の披露から、「自分自身の声」で何かを語る行為へと変わったのです。それは、私にとって演奏に対する見方を根底から変える経験でした。
演奏を通して、自分の感情を知り、表現する力を持つ
「演奏に心がこもらない」というコンプレックスは、私に演奏技術だけでなく、音楽への向き合い方、そして自分自身の内面との向き合い方を教えてくれました。感情表現は、特別な才能ではなく、音楽への深い理解と、自分自身の内面との対話、そしてそれを音に乗せるための試行錯誤の末に磨かれていくものだったのです。
演奏を通して自分の感情を知り、それを表現する力を持つことは、楽器演奏の場だけでなく、日々の生活や人間関係においても、自分の気持ちを正直に伝えたり、他者の感情を理解しようと努めたりすることに繋がっていると感じています。
もし今、あなたが「演奏に心がこもらない」と感じて悩んでいるのであれば、それは技術的な壁ではなく、あなたの内面と音楽が深く結びつくための、大切な入り口に立っているのかもしれません。楽譜の向こうにある作曲家の心に触れ、そして何より、あなた自身の心と向き合ってみてください。きっと、あなたの演奏は、あなただけの温かい声を持つようになるはずです。