練習がルーティン化していた私が、意識を変えて演奏の深みを知った話
いつしか練習が「こなすもの」になっていた
楽器演奏を続けていると、誰もが一度は「練習がルーティン化しているな」と感じる時期があるのではないでしょうか。私自身、まさにそのような停滞期を長く経験しました。毎日同じスケール練習、同じ基礎練習、そしていつも弾いている得意な曲をいくつか弾く。時間は確保しているつもりでも、そこに以前のようなワクワク感や、明確な「これで何を得たい」という意識が希薄になっていました。
練習を終えても「今日も時間を使ったな」という感覚はあっても、「演奏が良くなった」「新しい発見があった」という手応えがありませんでした。周りの、楽しそうに新しいことに挑戦している演奏者を見聞きするたび、自分の練習は単調で、音楽の表面だけをなぞっているような気がして、漠然とした焦りを感じるようになりました。これが、私の「演奏がルーティン化している」というコンプレックスの始まりでした。
マンネリの裏側に隠れていた「意識の不在」
なぜ、練習がルーティン化してしまったのか。今振り返ると、それは技術的な問題というより、演奏に対する「意識の不在」が大きな原因だったと感じています。
- 目標の曖昧さ: 具体的に「何を」「どういう状態に」したいのか、という短期・長期の目標設定ができていませんでした。「上手くなりたい」という漠然とした思いだけでは、日々の練習に目的意識を持つことは難しいと気づきました。
- 変化への恐れ: 新しい練習方法や、苦手な分野に取り組むことへの潜在的な恐れがありました。慣れたルーティンから外れることへの抵抗感があったのかもしれません。
- 「聴く」ことの不足: 自分の音を客観的に聴き返す習慣がありませんでした。そのため、どこがどうマンネリ化しているのか、具体的に何を変えれば良いのかが見えにくくなっていました。
- インプットの枯渇: 演奏以外の音楽をあまり聴いていなかったり、他の演奏者のアプローチを知ろうとしていなかったり。新しい刺激が不足していました。
練習時間は確保しているのに進歩が見られないという焦りは、次第に「自分にはセンスがないのだろうか」「このまま続けて意味があるのだろうか」というネガティブな自己評価につながっていきました。
意識を変えるための具体的なステップ
このマンネリを脱却するため、私はいくつか意識的に行動を変えてみることにしました。大きな転換点になったのは、あるベテラン演奏家の方が「練習は目的をもって、実験のように行ってみるものだ」とお話しされていたのを聞いたことです。その言葉に触発され、私の練習は「こなす」から「探求する」ものへと少しずつ変化していきました。
- 練習目標の明確化: 大目標(例:この曲を仕上げる)の下に、週ごと、日ごとの小目標を設定しました。「今日はこのパッセージの音色を〇〇のように変えてみる」「この基礎練習で、特定の指の動きを意識する」といった具体的な課題を設定しました。
- 練習内容の多様化: 普段避けていた苦手なスケールやコード練習、または全く触れたことのないジャンルの簡単なフレーズに挑戦しました。YouTubeなどで他の楽器の練習方法や音楽理論の解説動画を見ることも、新しい視点を得るのに役立ちました。
- 「聴く」練習の導入: 自分の演奏を録音し、客観的に聴き返す時間を設けました。最初は自分の音にがっかりすることもありましたが、「この部分は音が硬いな」「フレーズの繋がりがぎこちないな」など、具体的な改善点が見えるようになりました。他の演奏者の音源を「なぜこの音色はこう聞こえるのだろう」と分析するように聴くことも始めました。
- 他の芸術からのインスピット: 音楽以外の絵画や文学、自然の音などに触れる時間を増やしました。直接演奏とは関係ないように思えましたが、多様な感覚を刺激することが、音楽的な発想や表現力の豊かさにつながることを実感しました。
演奏に「深み」が生まれるまで
これらの意識的な変化は、すぐに劇的な効果をもたらしたわけではありません。しかし、練習一つ一つに「今日はこれに焦点を当てよう」という目的ができたことで、集中力が増し、小さな変化にも気づけるようになりました。
特に大きかったのは、「音色」や「響き」に対する意識の変化です。以前は楽譜通りの音符を弾くことに終始していましたが、録音を聴いたり、他の音楽を深く聴いたりする中で、「同じ音符でも、これほど多様な表現ができるのか」ということに気づきました。どうすればもっと暖かく響くのか、どうすれば音が滑らかに繋がるのか。そういったことを考えながら練習するようになり、単なる音の羅列だったものが、感情や情景を伝える「音楽」として聞こえる瞬間が増えていきました。
これは、演奏に「自分らしさ」や「深み」が生まれる過程だったと感じています。ルーティン化していた練習から脱却し、音楽とより能動的に関わるようになったことで、自分の内面にある表現したいものが音に乗る感覚を少しずつ掴めるようになったのです。
演奏は自己探求の旅
練習のマンネリ化は、誰にでも起こりうる自然な停滞かもしれません。しかし、それは同時に、演奏に対する意識やアプローチを見直す良い機会でもあります。私の経験は、単に技術を向上させることだけが演奏の目的ではないことを教えてくれました。意識的に探求することで、演奏は自己理解を深め、世界をより豊かに感じられる手段へと変わるのです。
もし今、練習が単調に感じている方がいらっしゃいましたら、ほんの小さなことでも良いので、普段とは違う意識やアプローチを取り入れてみることをお勧めします。それは新しい練習方法かもしれませんし、音楽の聴き方を変えることかもしれません。その小さな一歩が、あなたの演奏に新しい光を当て、音楽との関係性をより深めてくれるかもしれません。演奏は、常に新しい発見がある、自己探求の旅なのだと私は感じています。